トロケは私がここ7、8年来通うビストロだ。オープンして今年の7月10日でちょうど10年。パリ15区のユネスコ支部の裏手、静かな住宅街のただ中にあって、毎晩深夜近くまで店内は賑やか。ついつい夜遅くまで長居をしてしまう。それというのも、料理はもちろん、オーナーシェフのクリスチャン・エチュベストの人柄ゆえだろう。人懐っこい性格と、分け隔てないおおらかさ、スポーツマンシップに似た正々堂々とした助け合いの精神もある。クリスチャンが介在し、席の隣にいた者同士があっという間に心を許して、会話を楽しむということもしばしばだ。そんな雰囲気は、アットホームだといわれる他の店にもなかなかない。それでこの店の空気に虜になると、知らず知らず何度も足を運ぶことになる。もちろん料理も美味しい。スポーツマンのような体つきのクリスチャンからは想像できない、きめこまやかさと洗練さに溢れたもの。通いつめると、じきに繊細なクリスチャンの面を知り、そうして彼のその部分が料理に反映されているとわかるのだ。職業柄、あちこちのレストランを試して巡るが、どうしたわけか、最後にはトロケに戻りたくなる。そう思う人は多いのか、この店に行くと、誰かしら知り合いに会うし、レストランのシェフやら生産者たちに会うということも頻繁にある。
そのクリスチャンが昨年、2店舗目をオープンした。“グラン・パン”との名で、肉やオマールのグリルを中心にした店。セカンド・シェフだったブノワ・ゴティエを共同経営者という形でシェフに立て、徐々に権利を譲っていくという形をとる。そして今年6月17日に新たにオープンしたのが“カンティーヌ・デュ・トロケ”。こちらは、客室の責任者だったナタリー・カンベルランを共同経営者に立てた。
“カンティーヌ”という名のごとく、シンプルな食堂料理を供するのがこの店のコンセプト。懐かしい、昔のビストロだったらメニューに必ずあったような“ゆで卵のマヨネーズ添え”、“ニンジンの千切りサラダ”、“メロンと生ハム”、“豚の耳のグリル”などの料理が黒板に書き付けられている。これは前菜。そして“チキンロースト”、“豚のグリル”、“仔羊のグリル”などのシンプルなメイン。
しかし、選び抜かれた素材、そしてちょっとした心遣いもあって、抜群においしい料理に仕上がっている。例えば素材に関していえば、野菜はブルターニュのアニー・べルタン、生ハムなどの豚製品はバスクの“オスピタル”、リムーザン地方の仔羊、ブルターニュのオマールなど。また、チキンローストには、黒オリーブのソースを添えたり、メロンのスープには、スイカとジュランソンの甘口の白ワインを加えたりと、隠し味が抜群に味わいを引き立てる。さらに、前菜、メイン、デザートともに8〜10種のチョイスで、約5ユーロから14ユーロという値段設定も、かなりお手頃感のあるものだ。
またもう一つ、この店の良さは、予約をとらないことだ。というか電話線を引いていないので、必然的に予約も取らないし、インフォメーションも訪れない限り伝えることもできない。そんな、時代錯誤的な方法論ではあるけれど、トロケの昔からの常連や、口伝えにこの店の評判を聞いた人々が次々にやってきて、毎日満席なのには驚いてしまう。入り口にあるカウンターなどで、空席を待っている人たちも絶えないくらいである。そして、大テーブルに詰めて座っていくのも、食堂らしくて、とてもいい。